第3回 テグシガルパ2 –Tegucigalpa-
令和5年3月16日
今回は当館の館員からの投稿です。第3回は、テグシガルパ市内にある文化遺産の一つについてご紹介したいと思います。
ホンジュラスの文化遺産と言っても、今回はマヤの遺跡の話ではありません。19世紀から20世紀初頭にかけて建築されたり、購入されたりした、現存している文化遺産についてです。
テグシガルパの旧市街地を見渡せる小高い丘の上に、ネオクラシック様式の瀟洒な洋館が佇んでいます。通称「ビジャ・ロイ邸」と呼ばれる建物です。ホンジュラス政府に要請されて来訪したイタリア人建築家アウグスト・ブレサーニ氏の設計です。
ブレサーニ氏は1915年にホンジュラスにやって来て、旧大統領府、テグシガルパ旧市庁舎、通信省、カトリック大司教宮などを設計しました。それらは今でも美しい建物で、全て市内に残っており、保護されるべき重要建築物と言えます。
「ビジャ・ロイ邸」
出典:Museo Villa Roy, (https://museo-villa-roy.negocio.site/)
当時、ホンジュラスは鉱業(主に銀山)が経済を支えていました。その証拠に、当時制定されたホンジュラスのエスクードの土台(下部)は鉱山です。
ホンジュラスのエスクード
出典:Honduras Tips, (https://www.hondurastips.hn/)
その主役となる鉱山会社(ニューヨーク&ロサリオ・マイニング・カンパニー)の経営者であったアメリカ人ロイ・ゴードン氏がテグシガルパ滞在中の邸宅として1936年にブレサーニ氏に建築を依頼したのが「ビジャ・ロイ邸」で、1940年に建築が完了しました。
ゴードン氏の死去後、鉱山会社の会計担当のフリオ・ロサーノ・ディアス氏に売却されて私邸になりました。そして、彼は後にホンジュラス大統領(1954年~1956年)となります。そういう意味で「ビジャ・ロイ邸」は、ホンジュラスが近代化と経済発展を遂げていた20世紀前半の政治経済の舞台の象徴として欠かすことができない場所と言えます。
その後、この建物は「ビジャ・ロイ博物館」としてホンジュラスの文化財が展示されていましたが、小高い丘が崩落・建物自体が倒壊し始めていることから10年以上前に閉館し、今は誰も近づくことはできません。
また、博物館には歴代大統領の専用車が展示されていました。なかでも目玉は、ホンジュラス史上で最も長く大統領の座に就いたティブルシオ・カリアス・アンディーノ大統領(任期:1933年-1949年)が使用していた「パッカード12セダン」でした。同車は、米国のルーズベルト大統領から寄贈された車で、当時はキャデラックを凌ぐ最高級車でした。
「大統領専用車だったパッカード12セダン」 ※筆者撮影
しかし、経済的課題から博物館の修復が出来ず、運営が継続不能になり、このパッカードは政府によって競売にかけられた、という報道がありました。
倒壊しつつあるビジャ・ロイ邸 ※筆者撮影
世界中の人々には「ホンジュラスの重要文化遺産」=「マヤ遺跡」と認識されていることが多く、ホンジュラス独立(1821年)以降の文化財保護に対しては多くの支援はない状況です。独立以降の文化財保護は、この国を知るためにとても重要な歴史的証拠となりますので、失われることなく、後世に残していって欲しいと感じております。
中原篤史
〇領事・安全情報
ホンジュラスの文化遺産と言っても、今回はマヤの遺跡の話ではありません。19世紀から20世紀初頭にかけて建築されたり、購入されたりした、現存している文化遺産についてです。
テグシガルパの旧市街地を見渡せる小高い丘の上に、ネオクラシック様式の瀟洒な洋館が佇んでいます。通称「ビジャ・ロイ邸」と呼ばれる建物です。ホンジュラス政府に要請されて来訪したイタリア人建築家アウグスト・ブレサーニ氏の設計です。
ブレサーニ氏は1915年にホンジュラスにやって来て、旧大統領府、テグシガルパ旧市庁舎、通信省、カトリック大司教宮などを設計しました。それらは今でも美しい建物で、全て市内に残っており、保護されるべき重要建築物と言えます。
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「ビジャ・ロイ邸」
出典:Museo Villa Roy, (https://museo-villa-roy.negocio.site/)
当時、ホンジュラスは鉱業(主に銀山)が経済を支えていました。その証拠に、当時制定されたホンジュラスのエスクードの土台(下部)は鉱山です。
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ホンジュラスのエスクード
出典:Honduras Tips, (https://www.hondurastips.hn/)
その主役となる鉱山会社(ニューヨーク&ロサリオ・マイニング・カンパニー)の経営者であったアメリカ人ロイ・ゴードン氏がテグシガルパ滞在中の邸宅として1936年にブレサーニ氏に建築を依頼したのが「ビジャ・ロイ邸」で、1940年に建築が完了しました。
ゴードン氏の死去後、鉱山会社の会計担当のフリオ・ロサーノ・ディアス氏に売却されて私邸になりました。そして、彼は後にホンジュラス大統領(1954年~1956年)となります。そういう意味で「ビジャ・ロイ邸」は、ホンジュラスが近代化と経済発展を遂げていた20世紀前半の政治経済の舞台の象徴として欠かすことができない場所と言えます。
その後、この建物は「ビジャ・ロイ博物館」としてホンジュラスの文化財が展示されていましたが、小高い丘が崩落・建物自体が倒壊し始めていることから10年以上前に閉館し、今は誰も近づくことはできません。
また、博物館には歴代大統領の専用車が展示されていました。なかでも目玉は、ホンジュラス史上で最も長く大統領の座に就いたティブルシオ・カリアス・アンディーノ大統領(任期:1933年-1949年)が使用していた「パッカード12セダン」でした。同車は、米国のルーズベルト大統領から寄贈された車で、当時はキャデラックを凌ぐ最高級車でした。
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「大統領専用車だったパッカード12セダン」 ※筆者撮影
しかし、経済的課題から博物館の修復が出来ず、運営が継続不能になり、このパッカードは政府によって競売にかけられた、という報道がありました。
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倒壊しつつあるビジャ・ロイ邸 ※筆者撮影
世界中の人々には「ホンジュラスの重要文化遺産」=「マヤ遺跡」と認識されていることが多く、ホンジュラス独立(1821年)以降の文化財保護に対しては多くの支援はない状況です。独立以降の文化財保護は、この国を知るためにとても重要な歴史的証拠となりますので、失われることなく、後世に残していって欲しいと感じております。
中原篤史
〇領事・安全情報