第4回 コパン遺跡 –Copán-

令和5年5月15日
 コパン遺跡は、マヤ文明の遺跡で、1980年に世界遺産にも登録され、ホンジュラスで最も有名な観光資源の一つです。新型コロナ騒動の前は、日本のテレビ番組でもたびたび放映され、日本でも一定の知名度がありました。

場所は、ホンジュラス西部でグアテマラとの国境近くにあり、ホンジュラスの首都テグシガルパからは車で約8時間以上かかります。そのため、グアテマラの首都グアテマラシティからの方がアクセスしやすいような状況です。ホンジュラスの中からでは、サンペドロスーラがコパン観光の起点となります(4時間くらいかかります)。
 
コパン遺跡は、昔から米国の大学チーム等が調査に入っていましたが、中でも日本の中村誠一金沢大学教授(現在は公立小松大学教授)及びそのチームが約40年の長期間にわたって、コパンの発掘・調査・研究を行い、日本政府の協力も相まって、コパン遺跡の整備に多大な貢献をしてきました。ホンジュラスでもその活動は有名で、中村教授及び日本政府は、ホンジュラス政府からこれまで何度もこの関係で表彰されてきました。私も当地着任後、政府関係者や各国の大使から、コパンが今あるのは日本のおかげですねと何度も感謝されました。当地における日本の先人達の功績をたいへん誇りに思います。日本からは、黒田清子様や小室眞子様が内親王殿下でおられた時に、それぞれ当地を訪問されており、記念に植樹して頂いたセイバ(マヤにおいては、地下世界と人間世界、それに天界を結ぶとされる木)が現地で元気よく育っています。
 
歴史的には、西暦435年から822年頃まで、コパンは少なくとも16人の王が統治したと言われており、初代の王は、グアテマラのティカルから来たと言われています。
現在、遺跡として残っているのは、5~9世紀にかけて、16代の王が統治した時代の神殿等で、人々はその周囲に住居を構えていたそうです(現在は、密林に覆われているようです)。
 
コパン遺跡の特徴の一つは、その石碑等の美しさです。遺跡の規模ではティカルやティオティワカンには及ばないものの、それらのマヤ文明の遺跡の石碑の多くは石灰岩で作られていたため、長年の風雨で溶けたり崩壊してしまっているのに対し、コパン遺跡の石碑は石灰岩ではないため、現在でも細密な模様や文字の彫り込み等が綺麗に残されており、高浮彫という技法を使った繊細で華麗な石像彫刻の美しさにより、「アメリカ大陸のアテネ」とも呼ばれているそうです。
 
具体的には、歴代の王の石像彫刻(普通の人の2~3倍くらいの高さがある)や、ピラミッド型の神殿(その62段の階段には各段に神聖文字が彫られている)、球技場、王の住居や墓、彫刻等が歩いて回れる範囲に並んでいます。
 

 

 

私が訪問した際には、日本チームの発掘が今でも進行中で、実際、高い場所から周りを見渡すと、まだまだ石碑や建造物が眠っていそうな小さな山がいくつもあり、人手とお金があればさらにどんどん新たな発見が期待できそうな様子でした。
 
出土品も色彩豊かな装飾品や食器、彫刻など多岐に及んでおり、現在は損傷を避けるため、それらの展示が残念ながら実施されておりませんが、日本政府の支援で温度や湿度の管理の行き届いた博物館がまもなくオープンされ、これまで展示できなかったそうした出土品も実際に見ることができるようになる予定です。
 
コパン遺跡のある街(コパン・ルイナス)は綺麗なホテルもあるこぢんまりとした美しい街です。街中の治安も比較的良く、お洒落なカフェ等もあるので、コパン遺跡に来たら是非街に泊まって欲しいと思います。コパン遺跡のあるコパン県は、高品質のコーヒーやチョコレート、蜂蜜などの産地としても有名です。地元のカフェ等で直接味わってみたりお土産に買って帰ったりしてこれらの名産品も是非楽しんで頂きたいと思います。

コパン遺跡の周辺には、やはり日本チームが発掘してきたエル・プエンテ遺跡もあります。そこはピラミッドの頂上にも徒歩で簡単に上れますので、コパン遺跡をご訪問の際は併せてご覧になってください。入り口に日本政府の支援した展示室等のあるインフォメーションセンターもあります。

さらに足を伸ばせば、コパン周辺には、温泉もあります。残念ながら私は未だそこに行っていないので、行く機会があった際に続編でご報告したいと思います。
 
中原淳

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