第7回:巻貝のスープ(ソパ・デ・カラコル)
令和6年2月16日
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「ソパ・デ・カラコル」を知っていますか?
カタツムリ…ではありません、巻貝のスープです。
でもホンジュラスでは2つの重要な意味があります。
1つは、ホンジュラスの郷土料理です。
主にホンジュラス北部のカリブ地域に居住するガリフナの人々の家庭料理で、柔らかい巻貝の身を中心に、ユカ芋、バナナ、パプリカ、コリアンダー、トマトなどをぐつぐつ煮込みます。クリーミーな味を引き出すため、ココナッツミルクも加えられ、奥行きのある甘味が何とも言えないスープに仕上がります。巻貝だけでなく、エビ、カニ、イカなどを加えて魚介のスープにすることもしばしばです。米かトルティージャと一緒に食卓に出されることがよくあります。
もう1つは、ホンジュラスを代表する音楽グループ「バンダ・ブランカ」が歌った「ソパ・デ・カラコル」(1991年)という曲です。この曲のおかげでこの料理の人気がぐっとあがったとも言われています。ホンジュラスでは国歌同様に親しまれているといっても過言ではないでしょう。
楽曲はプンタ(ガリフナの人々の音楽と踊りのリズム)で、次のような歌詞から始まります。
«Watanegui consup»: 巻貝のスープが欲しいよ
«Yupi pa ti, yupi pa mi»: 君に少し、僕に少し
«Luli ruami wanaga»: 巻貝のスープを楽しみたいよ
1991年に曲がリリースされると、ラテンアメリカ全土で瞬く間に大ヒットし、後年には何回かカバーされました。カバーした1人、ホンジュラスのシンガーソングライターで、バンダ・ブランカのオリジナルメンバーであるピロ・テヘダ氏は、この楽曲に「Wepa(ウェパ)!」と叫び声を加え、オリジナルにはなかったWepa!は「ソパ・デ・カラコル」を連想する歌詞になっています。テヘダ氏は、「Wepaは喜びの言葉であり、レコーディングが終わったときに叫んだ言葉です。Wepaは、私たちホンジュラス人の言葉なんです」と語っています。
もともとガリフナの人々はカリブ海の島々にコロンブス到来以前より居住していた人種と後年にアフリカより奴隷としてカリブ地域に到来した人々の混血の子孫とされています。彼らは、18世紀、セント・ビンセント島を統治していた英国人から、「黒カリブ(Black Caribbean)」と呼ばれ、強力で結束力の強い集団で、英国人商人による島の支配に対抗できる力を備えていたとされています。18世紀末、セント・ビンセント島で起きた「黒カリブ」の人々による英国人に対する反乱の結果、当時の英国王ジョージ3世が追放令を出しました。その追放先はホンジュラス北部の湾内の海岸の一部で、最終的に黒カリブの人々は1797年4月、ロアタン島のポートロイヤルに上陸し、その後現在のコロン県トゥルヒージョ市に上陸したという記録があります。「黒カリブ」と揶揄された人々がたどり着いたのは現在のホンジュラスでいうイスラスデラバイア県、コルテス県、アトランティダ県、コロン県、グラシャスアディオス県であり、現在、ガリフナの人々が最も集中している地域と概ね合致します。(ガリフナの人々はホンジュラスだけでなく、ベリーズ、グアテマラ等にも居住しています。)
今や、ガリフナの文化は、言語だけでなく、巻貝のスープのような美食、「ソパ・デ・カラコル」に表現されるような踊り、歌、そのプンタの“儀式”など、実に多様な形でホンジュラスの文化を彩り、バンダ・ブランカがインスピレーションを受けたのも頷けます。Wepa!と聞いたら、是非「ソパ・デ・カラコル」をバックに、巻貝のスープを召し上がってみてはいかがでしょうか。
吉田泰朗