ホンジュラス紀行第9回:グアナハとチョコレート
令和7年2月3日
ホンジュラスの名産は?真っ先に出てくるのはコーヒーですが、チョコレートの原料であるカカオをあげる方は稀でしょう。カカオは、アフリカ(コートジボアールやガーナ等)の方に原産のイメージが定着しがちですが、中南米に起源を有します。しかし、ホンジュラスはトップ10に上がるほどの生産量も輸出量もないため、知名度が低いのも無理ありません。
チョコレートとホンジュラスをインターネット検索してみると、様々なチョコレート製品や各地にチョコレート工房がヒットします。今回は、カリブ海のリゾート地「グアナハ」という島にあるチョコレート工房にお邪魔してみましたのでご紹介します。グアナハ島は、先に紹介したロアタン島の東方に位置し、南北2つの本島の周辺にいくつもの小島に囲まれています。大きな珊瑚礁があり、カリブ海有数のスキューバダイビングスポットです。島内は道路網が整備されておらず、生活の足はもっぱらボートが主流です。
チョコレート工房では、カカオ豆からの手作り参加できます(有料)。
本土(ラセイバ)から取り寄せた(発酵・乾燥済みの)カカオ豆を焙煎し、磨り潰し、皮と実を分け、実を再度練り、それを数日間(3日が理想)機械にかけます。この機械はスイスで開発されたメランジャーと呼ばれ、要は、カカオ実の酸味を取りながらしっかりと磨り潰し滑らかに仕上げる工程を担う優れたミキサーです。その工程で、別工程でカカオを分離処理して抽出したカカオバター(ホワイトチョコの元)の適量を適温で溶かして少しずつ混ぜます。以降はカカオ濃度を調整しながら粉ミルク、砂糖等を入れます。
これだけ複雑な工程を経ているチョコレートが高価なのは納得。
先に、カカオは本土から取り寄せたものと書きましたが、グアナハ島では残念なことに、かつてカカオ栽培はされつつも、強い関心が注がれることがなかったためか、ほぼカカオの木は絶えてしまったようです。では、どうしてこの地でチョコレート工房を工房の方に尋ねると、「歴史的なカカオの地」ということもあり、カカオも植育樹して、その名声を挽回したいと頑張っているようです。現在はあくまで私有地の一部にひっそりとたたずむ程度ですが、数十年後にはカカオ畑になっていることを願わずにいれません。
では、なぜこの島が歴史的なカカオの地なのでしょうか?少し歴史を紐解くと、グアナハがカカオの西洋人による「発見地」という興味深い史実に行き当たりました。
「新大陸発見者」とされるクリストファー・コロンブス(Cristobal Colón)は1502年7月30日、4回目の(そして新大陸への最後の)航海でグアナハ島に着いたという記録があります。コロンブスの息子、フェルディナンド・コロンブス(Hernando o Fernando Colón)は、父コロンブスの伝記(提督の歴史:Historia del Almirante)の中で次のように記述しています。
「そして7月14日にこの港(注:おそらく現在のドミニカ共和国のサントドミンゴと考えられる)から出航したが、悪天候のため、思うように進むことができず、海流に流され、ジャマイカの近くの小さな砂の島々にたどり着いた。そのため、後に海図を作成した人々は、これらの島々をすべてグアナロス(Guanaros)島と呼んだ。グアナロス島は本土のオンドゥラス岬(Cabo de Onduras、現在のトゥルヒージョ)で、当時提督(コロンブス)はカシナス岬(Cabo de Caxinas)と呼んでいたところから12レグア(約67km)離れており、グアナラ島に到着した提督は、バルトロメ・コロンブス(Bartolomé Colón、コロンブスの弟)を2隻のボートで上陸させた。彼らは、多くの松の木と陸地を見た。バルトロメが島の秘密を知りたいと島にいたとき、彼の幸運は、ガレー船ほどの長さと幅8フィートのカヌーが到着したことであった。」そして、コロンブス提督はこの島を 「Isla de los Pinos」(松の島)と呼び、スペイン王室の領土としました1。
この時具体的に上陸したのはグアナハの北本島の兵士の浜(playa del soldado)とされてます。そこには実際に松の木もあり、松の島と名付ける理由は頷けます。その後、当時住んでいたペチ族がBonnacáと発音していたのでボナカ島(今は集落が集中するグアナハ本島沖の小島を指す)と呼ばれたり、後年入植してきた英国人に(「グアナラ」にちなんでか)「グアナハ」と呼ばれて今に至るようですが、島名の由来には不確かなことが多いです。
主題のカカオに話を戻しますと、この島上陸時に、コロンブス(の弟のバルトロメ)は、カカオ豆などを積んだ25人の漕ぎ手を乗せたカヌーが到着するのを目撃し、カカオ豆が先住民に珍重されていることに気づいたとされています。ただ、コロンブス一行がカカオを特段重用したという記録はなく、むしろ「羊の糞」のような種と、それで作った赤い泡のような液体、そして何よりも非常に苦い味を見たので、あまり重要視しなかったとする説があります2。この出来事が、グアナハ島はカカオが最初に(西洋人によって)「発見」された場所として言い伝えられる由縁と考えられます。カカオはその後のエルナン・コルテスによる現在のメキシコ方面への進出以降に、カカオ等をすりつぶして作られた「苦い水」(ショコアトル、xocóatl)としてスペイン王室に認知され、今日のチョコレートにつながっていきます。
さて、遠い昔の歴史に思いをはせていたら、チョコレートができたようです。本来3日程度練るようなのですが、今回は時間の都合で1日経ったチョコレートは…こちらです!
チョコレートとホンジュラスをインターネット検索してみると、様々なチョコレート製品や各地にチョコレート工房がヒットします。今回は、カリブ海のリゾート地「グアナハ」という島にあるチョコレート工房にお邪魔してみましたのでご紹介します。グアナハ島は、先に紹介したロアタン島の東方に位置し、南北2つの本島の周辺にいくつもの小島に囲まれています。大きな珊瑚礁があり、カリブ海有数のスキューバダイビングスポットです。島内は道路網が整備されておらず、生活の足はもっぱらボートが主流です。
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グアナハ島(出典:www.proyectoviajero.com) |
チョコレート工房では、カカオ豆からの手作り参加できます(有料)。
本土(ラセイバ)から取り寄せた(発酵・乾燥済みの)カカオ豆を焙煎し、磨り潰し、皮と実を分け、実を再度練り、それを数日間(3日が理想)機械にかけます。この機械はスイスで開発されたメランジャーと呼ばれ、要は、カカオ実の酸味を取りながらしっかりと磨り潰し滑らかに仕上げる工程を担う優れたミキサーです。その工程で、別工程でカカオを分離処理して抽出したカカオバター(ホワイトチョコの元)の適量を適温で溶かして少しずつ混ぜます。以降はカカオ濃度を調整しながら粉ミルク、砂糖等を入れます。
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カカオ豆を、 | 磨り潰し、 |
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皮と実を分け、 | カカオバター等を加え数日間機械加工します。 |
これだけ複雑な工程を経ているチョコレートが高価なのは納得。
先に、カカオは本土から取り寄せたものと書きましたが、グアナハ島では残念なことに、かつてカカオ栽培はされつつも、強い関心が注がれることがなかったためか、ほぼカカオの木は絶えてしまったようです。では、どうしてこの地でチョコレート工房を工房の方に尋ねると、「歴史的なカカオの地」ということもあり、カカオも植育樹して、その名声を挽回したいと頑張っているようです。現在はあくまで私有地の一部にひっそりとたたずむ程度ですが、数十年後にはカカオ畑になっていることを願わずにいれません。
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植樹されたカカオの木 |
では、なぜこの島が歴史的なカカオの地なのでしょうか?少し歴史を紐解くと、グアナハがカカオの西洋人による「発見地」という興味深い史実に行き当たりました。
「新大陸発見者」とされるクリストファー・コロンブス(Cristobal Colón)は1502年7月30日、4回目の(そして新大陸への最後の)航海でグアナハ島に着いたという記録があります。コロンブスの息子、フェルディナンド・コロンブス(Hernando o Fernando Colón)は、父コロンブスの伝記(提督の歴史:Historia del Almirante)の中で次のように記述しています。
「そして7月14日にこの港(注:おそらく現在のドミニカ共和国のサントドミンゴと考えられる)から出航したが、悪天候のため、思うように進むことができず、海流に流され、ジャマイカの近くの小さな砂の島々にたどり着いた。そのため、後に海図を作成した人々は、これらの島々をすべてグアナロス(Guanaros)島と呼んだ。グアナロス島は本土のオンドゥラス岬(Cabo de Onduras、現在のトゥルヒージョ)で、当時提督(コロンブス)はカシナス岬(Cabo de Caxinas)と呼んでいたところから12レグア(約67km)離れており、グアナラ島に到着した提督は、バルトロメ・コロンブス(Bartolomé Colón、コロンブスの弟)を2隻のボートで上陸させた。彼らは、多くの松の木と陸地を見た。バルトロメが島の秘密を知りたいと島にいたとき、彼の幸運は、ガレー船ほどの長さと幅8フィートのカヌーが到着したことであった。」そして、コロンブス提督はこの島を 「Isla de los Pinos」(松の島)と呼び、スペイン王室の領土としました1。
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(左:「兵士の浜」付近の眺め、右:近辺の浜の松) |
この時具体的に上陸したのはグアナハの北本島の兵士の浜(playa del soldado)とされてます。そこには実際に松の木もあり、松の島と名付ける理由は頷けます。その後、当時住んでいたペチ族がBonnacáと発音していたのでボナカ島(今は集落が集中するグアナハ本島沖の小島を指す)と呼ばれたり、後年入植してきた英国人に(「グアナラ」にちなんでか)「グアナハ」と呼ばれて今に至るようですが、島名の由来には不確かなことが多いです。
主題のカカオに話を戻しますと、この島上陸時に、コロンブス(の弟のバルトロメ)は、カカオ豆などを積んだ25人の漕ぎ手を乗せたカヌーが到着するのを目撃し、カカオ豆が先住民に珍重されていることに気づいたとされています。ただ、コロンブス一行がカカオを特段重用したという記録はなく、むしろ「羊の糞」のような種と、それで作った赤い泡のような液体、そして何よりも非常に苦い味を見たので、あまり重要視しなかったとする説があります2。この出来事が、グアナハ島はカカオが最初に(西洋人によって)「発見」された場所として言い伝えられる由縁と考えられます。カカオはその後のエルナン・コルテスによる現在のメキシコ方面への進出以降に、カカオ等をすりつぶして作られた「苦い水」(ショコアトル、xocóatl)としてスペイン王室に認知され、今日のチョコレートにつながっていきます。
さて、遠い昔の歴史に思いをはせていたら、チョコレートができたようです。本来3日程度練るようなのですが、今回は時間の都合で1日経ったチョコレートは…こちらです!
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(左)型に入れて、(右)15~30分ほど冷やして型外し |
香いっぱい、味はとってもマイルド♪
吉田泰朗
1 Lidisis Figueroa Dennis Portillo “Las Islas de la Bahía: una síntesis histórica”, Rev. Yaxkin, año 38, n.º 1: 77- 111/2018 https://cdihh.ihah.hn/revistayaxkin/2018_01/LasIslasdelaBahiaunasintesishistorica.pdf
2 https://chocomundo.com/chocomundo-el-mayor-museo-del-chocolate-de-espana/historia-del-chocolate/
吉田泰朗
1 Lidisis Figueroa Dennis Portillo “Las Islas de la Bahía: una síntesis histórica”, Rev. Yaxkin, año 38, n.º 1: 77- 111/2018 https://cdihh.ihah.hn/revistayaxkin/2018_01/LasIslasdelaBahiaunasintesishistorica.pdf
2 https://chocomundo.com/chocomundo-el-mayor-museo-del-chocolate-de-espana/historia-del-chocolate/